「植平光彦」さんからのコメントです。その➀

「植平光彦」さんからの頂戴したコメントです。
   2020年12月17日ぶん

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今から振り返ると本当に懐かしい思い出です。出禁になった担当者に代わり、課長であった私が伊藤社長(当時)と ご一緒してお客様のご自宅を出る際に、家の前には小さな「どぶ」(溝)があり、「どぶ板」は玄関の前にしかないことを忘れて、先に車に向かっていた社長を追って、斜めに玄関を飛び出して「どぶ」に落ちたのは私の勲章です。どぶ板を踏む!=どぶ板営業! という言葉がありますが、私は踏むのではなく どぶに落ちたのですから、その後いろいろな局面で、どぶ板を踏んだ、!と誇らしげに話す御仁に対して「君はどぶに落ちたことがあるかい」と尋ねることにしていました。(笑)
でも伊藤社長(当時)は、優しくて、自分も「肥溜め」(こえだめ)や家の前の「溝」みぞ に落ちたことがあると 慰めていただきつつ、その日に ご自宅で奥様の手料理(お好み焼き)を ご馳走して頂いた のも 忘れえぬ思い出となっています。当時は、本当に一生懸命に企業人として取り組んでおりましたが、こういう年回りになりますと「兵(つわもの)どもが夢のあと」という感を強くしております。

↑「植平光彦」さんからのコメントです!

2020年12月10日ブログ→児玉進矢さんの思い出
 
(懇親会スナップあり)2019年7月26日

2 thoughts on “「植平光彦」さんからのコメントです。その➀

  1. 児玉進矢

    惜しくも優勝こそ逃しましたが、この夏の甲子園の主役は下関国際でしたね。苦労人の監督のもとで伸び伸び戦って大阪桐蔭、近江というセンバツ優勝、準優勝校を破っての決勝進出はストーリー性もあり日本人の判官贔屓精神にジャストミートした感じです。

    高校野球は春と夏に開催されますが、圧倒的に夏が盛り上がりますね。夏の甲子園は各県の代表、謂わばおらが町の代表が必ず出場するので、丁度お盆の時期に多くの人が故郷を思う気持ちと重なり、さらには、負けて去りゆく球児へのセンチメントが合わさって、毎年夏の終わりに日本人に深い感動を与えてくれます。また、丁度この時期には広島長崎の原爆記念日や終戦記念日に当たり、戦争で亡くなった方々を国中で慰霊する行事も執り行われます。一年で最も日本人が情緒的なタイミングということも一役買っているのかも知れません。

    多分これは一種の祭礼のようなものでしょう。民俗学者の柳田国男は、祭りとは「祭事を営む人とそれを司る神官によって行われる宗教的行事」、祭礼とは「祭りに直接関わりのない見物人が加わったもの」と区分けしていますが、私たちは球児と審判の行う野球というオールジャパンの祭りに、日本各地からテレビを通して参加する見物人なんじゃないかと。夏の甲子園を見ながら実は故郷や先祖様や諸々のことにもまた思いを致しているのではないかと。そうでなければ、同じ時間帯にBSで放映される大谷翔平選手のスペクタクルなゲームから高校生の野球にチャンネルを切り替える理由が思い浮かびません。

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  2. 植平光彦

    以前の投稿を再掲載いただき有難うございます。

    下関での勤務時代に 会長とご一緒していた頃の思い出は尽きないものがありますが、その中の一つが西市自動車さんを訪問した際には、しばしば、会長と近隣のレストランでステーキを食べた思い出です。今振り返るとまさに「パワーランチ」ですね。「パワーランチ」という用語が一般的になったのは下関時代のだいぶ後だったように記憶しますが、米国でランチを食べながら顧客と打ち合わせるといったことをこう呼んでいるということをその後、雑誌等で目にすることとなりました。そういう意味では、我々はおそらくは世界に先駆けてこの「パワーランチ」を実践していたわけです(笑)。

    過去に食したものやその味はその当時の記憶と密接につながっていることが多く、あの時に噛み締めて味わったランチの味と会長と西市自動車さんの成績が一体となって蘇ってきます。機会があれば、当時、お邪魔したレストランにもう一度行ってみたいものです。きっと当時の思い出が半分くらい入った得もいわれぬ味を堪能することができるのではと思います。

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