海外「思い出」タイ(カンチャナブリ)

タイにも行きました。確か、3~4回だと思います。ダイハツ工業㈱の旅行が二回、地元の有志で2回です。一番の思い出は、映画「戦場にかける橋」あの「クワイ川マーチ」で有名になった処、そこが「カンチャナブリ」なんですね!

現実の風景は映画とは異なりますが、「泰緬鉄道」(たいめん)の線路、クワイ川(クウェー川)の鉄橋を歩きました。映画では、亜熱帯雨林の中を木造で橋を架けますが、現実は(時は過ぎて)そんな森林地帯でもなく、まあ面白おかしくされたのでしょう。この辺りまで「日本軍」が来て、英国軍~豪州軍~オランダ軍(連合国側の捕虜)タイ人労務者 ほか を使って鉄道や橋を造った、、そして「栄養失調」「コレラ」「マラリア」などで多数の、、、まあ、とんでもない場所なんですね。いろいろな処に行っていますと、「シンガポール」や「マレーシア」特に「ペナン」そして「オーストラリア」の「ケアンズ」辺りまで我々の先祖の日本軍は来ているんです。☆泰→タイ 緬→ミャンマー(旧ビルマ)

ここ、「タイ」では、〇「アユタヤ遺跡」(巨大な寝仏)にも行きました。アユタヤといえば、「山田長政」がはるか昔(江戸時代 前期)、ここで立派な働きをした、、、ことを思い出しますね。 方角は違いますが →  〇パタヤビーチにも行きました。 そうそう、バンコクから航空機で →  〇「チェンマイ」にも行きましたよ。タイ北部になりますが、山岳民族の集落を訪れました。なんでもここ「チェンマイ」では、有名な歌手の「テレサテン」が、ここで最期を迎えた、、と 聞いています。若くして命を失い、とても かわいそうです。(42歳 気管支喘息 ITAIは台湾へ)

首都「バンコク」は、とても車やバイクが多く、毎度渋滞でしたが、最近 高速道路が出来て それでもまだまだ開発途上ですねえ。地下鉄や、道路網の整備が急がれます。ここは「三期作」ができるところ、「アユタヤ」や「カンチャナブリ」に行く途中、両サイドの農地は、ほとんど水に浸かっていた時がありました。雨期でしょう。それから、農地では(様々な)養殖がされていました。案外「魚」とか?「海老」とか?海のものを陸の中で、養殖しているようです。

☆現地で食べた(本場もの)「トムヤムクン」 美味しかったですよ!

2 thoughts on “海外「思い出」タイ(カンチャナブリ)

  1. 矢野公皓

    「泰緬鉄道」「カンチャナブリ」一度行きました。ツアーの観光バスで行くのが普通らしいですが、普通列車で行ったところ運賃は300円くらいでしたが、扇風機の付いた暑い車両で3時間以上かかった覚えがあります。映画『戦場にかける橋』を想像していましたが、普通の鉄橋(に見えた)ので感慨が薄れましたが、その先の川沿いの崖っぷちに造られた路線の風景は圧巻でした。帰りに「イースタン・オリエント急行」という超豪華列車が来ていました。また、路線バスに乗ったらエアコンはないし、更に時間がかかりました(旅行ガイドには路線バスはオススメしないと出ていました)。若い女性が路上でヒールを脱いで跪いて(ひざまずいて)僧侶に施しをするのを何度か見て感心しましたが、朝夕の大渋滞には閉口しました。その赤い大地が印象的でした。

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  2. 児玉進矢

    私も行きました。カンチャナブリを経由してその先のヘルファイア・パスという日本軍が捕虜をつかって崖を削って線路を敷いた場所が目的地でした。いまでは記念館が作られていて、捕虜の方々の子孫が慰霊に訪れています。日本人として負の歴史を感じざるを得ない場所でしたが、そこで多くの日本兵が亡くなっているのも事実なので、私も手を合わせて来ました。

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