7月の小旅行の報告です。その①として、「開東閣」(かいとうかく)を挙げました。「開東閣」と言っても、ほとんどの方がご存じない!と思います。筆者も初めて聞いた(訪れた)処ですからね。
場所は、東京都港区高輪の「品川駅」近く、(いわゆる)旧岩崎家高輪別邸と言われています。一般公開はされておらず、現在は三菱グループ29社の管理下にあるそうです。幕末や維新の歴史が大好きな「ド田舎会長」であります。岩崎家別邸と聞けば、土佐藩の「岩崎弥太郎」が思い浮かびます。NHK大河ドラマ「龍馬伝」(2010年)で、「香川照之」さんが、岩崎弥太郎を見事に演じました。雑学①ですが、土佐藩では、武士の身分は「上士」と「下士」そのさらにその下に「地下浪人」(じげろうにん)があったのです。いわゆる半農半士の身分でした。そこで「岩崎弥太郎」は生まれたのです。≪ 三菱財閥の創始者 ≫
ここの土地が「伊藤博文」の(元)所有地であり、1889年に岩崎家が購入したと伺って、さらに歴史愛好家の血が騒ぎましたよ!雑学②伊藤博文は、いわゆる「長州フアィブ」で有名=長州藩士(そもそも百姓の生まれ)その後足軽=下級武士 の養子となる。「松下村塾」 ・英国へ密航 ・日清講和条約(春帆楼=下関) ・初代内閣総理大臣 ・ハルビンで暗殺される(安重根)
・「フロンティア倶楽部」=東京海上日動グループ兼業代理店 「感謝状贈呈式」に出席のあくる日、「安田啓明」山口支店長の肝いりにより、館内見学&園内散策並びに「開東閣」での昼食会に招かれたもの。東京海上日動グループの全国大会には、かなりの回数参加しておりますが、ここ「開東閣」の散策は、初めてでした。諸々、歴史好きにはタマリマセンでしたよ!
こんばんは、ブログ歴史物は好きなのでコメント致します。
先週10月14日土曜日のNHKテレビ「ブラタモリ」時々みる程度でボヤーと観てました、観ているうちに興味津々、番組は「昭和38年北九州市誕生」のエピソード、昭和38年は私が中学1年生(その頃、西市の中心にスーパー丸市誕生、店頭で「即席コーヒー、ネスカフェ登場」試飲コーナーができ、初めて飲んだインスタントコーヒーの味は忘れられません。昭和38年の山口国体では中学校入口で当時の皇太子殿下お出迎え、日の丸旗で歓迎、トイレ休憩で担任の先生が用足し後の殿下の気分爽快の様子を後日授業で語る言葉は今も脳裏に焼き付いています。翌年は東京オリンピック、戦後復興の最中あれもこれも興味津々の日々でした)
当時下関のすぐ隣に百万都市が誕生、子どもながら(中学生でした)も驚いた思い出が残っています。
北九州市誕生エピソードが色々紹介される中、当時地元でもない「岩崎弥太郎」と「渋沢栄一」が動いていたことも紹介されました。
さらに歴史的にみると門司、小倉は「豊前」の國、八幡、若松、戸畑は「筑前」の國、国境の町が合併するという一大歴史イベントでもあったようです。
明治の初め、官営製鉄所をどこにつくるか「ほぼ明治中央政府では、門司につくる」ということが決定、そこで動いたのが筑豊炭田を築きあげた経営陣(筑前藩士集団)が八幡にと動き、当時人口千人程度の農村であった八幡に官営製鉄所がつくられたのです。
番組では、官営八幡製鉄所建設当時の建物が紹介されました。世界遺産になっている事務所建物、今でも使用されている修繕(巨大、明治の初め、まだ日本では鉄骨生産できないため、当時ドイツから輸入した鉄骨を使用して建物建設、輸入した鉄骨をねじれ等修正する修繕工場を製鉄所より先に建設、現在は資材置場として使用、当時のクレーンは現在も稼働している)工場等々、テレビ番組みられた方多いと思います。私がウダウダ言ってもいけません。
さて次かその次のブラタモリは「秋吉台、秋芳洞」と番組予告されていました。どうぞご覧ください。