日別アーカイブ: 2015年5月1日

ラスベガス (スナップ) f   デュースからの眺め!②

  DSC03157 ↑ 「パリス」の辺りですね! ★ラスベガスの大通り(ブルーバード・ストリート)  「マンダレイベイ」(南側の出発地点)からデュース(2階建て市内バス)に乗って、撮影しています。一番前の席に陣取り、良く見渡せます。 DSC03163   DSC03169 ↑ 2階建てバスでも、屋根の無いのは、市内観光バスです。(有料)筆者は乗っておりません! DSC03170 ↑ 「フラミンゴ」辺りですね。ラスベガスでは、(100年以上前)最初のホテルが(フラミンゴ)だったそうです。冷静に考えてみると、(筆者の)最初のラスベガス訪問は、1970年代でしたが、このフラミンゴより南側には、ホテル群(カジノ)はありませんでした。かなり向こうに「アラジン」が建設中でしたね。(その後倒産)少しばかりラスベガスの歴史の証人でもあるわけです。(苦笑) ・ダウンタウンがホテル(カジノ)の中心でした、一人で行きましたよ。(ダウンタウンのメーン道路が、某映画にも出ました。①ゴールデン・ナゲット②フォークイーンズ③フリーモントなどなど)カジノは、サーカス・サーカス~スターダスト(壊された)フラミンゴ~リヴィエラ~サハラ?辺りを、歩き回って、一晩でスッテンテンになりました。(当時のレートで3000㌦)大爆笑! DSC03171 ↑ 「シーザーズ・パレス」 DSC03173 ↑ 「ハラス」 DSC03176 DSC03178 ↑ 「トレージャー・アイランド」 DSC03184 DSC03185 ↓ ネットより ★ゴールドラッシュと鉄道の開通 1840年代末に現在のカリフォルニア州で金が発見され、ゴールドラッシュが起こると、カリフォルニアに向かう砂漠の中の貴重な中継地点として定住する者が現れた。 1905年、ユニオン・パシフィック鉄道の開通に伴って、水の便の良いラスベガスは蒸気機関車の給水地となり、現在のダウンタウンに駅が造られた。 ★フーバーダムの建設 金鉱ブームも去った頃、1929年の株式大暴落に端を発した大恐慌が起り、さしたる産業のないネバダ州では、税収確保のため1931年3月19日に賭博を合法化した。1931年に近郊(街の南東48km)にフーバーダムが着工され、ルーズベルト大統領のニューディール政策の時代の1936年に完成した。労働者の流入と安価な電力の供給で、街は大きく発展した。1940年代に入るとダムから得られる豊富な電力を利用して、第二次世界大戦中にはネバダ砂漠に軍事基地や核実験場(ネバダ核実験場)が続々と建設され、その関係者が町に住むようになった。 ★「カジノの都」 ラスベガス・ストリップの南側にある「Welcome to Fabulous Las Vegas」の看板 第二次世界大戦終結後の1946年に、ベンジャミン・シーゲル(バグジーとして知られる)がフラミンゴホテルを建設し、カジノが収益を上げることが判ると、マフィアが続々とホテルを建設するようになり、それらのホテルは同時に集客のためにフランク・シナトラやサミー・デイヴィスJr.、リベラーチェなどのショーを定期的に行うようになった。街の建設資金は大半をモルモン教徒が融資した。 しかし1960年代後半頃から当局の取締りが厳しくなるにつれ、マフィアは次々とホテルの経営権を手放すようになり、合法的な不動産会社やホテルチェーン、ハワード・ヒューズのような大富豪などがこれらのホテルやカジノの経営権を引き継いだ。 ★ホテルラッシュ その後も、資金融資などの形で限定的なマフィアの介入はあったが、ゲーミング・ライセンス(カジノ開設、運営の権利を定める一連の州法など)の厳格化に伴いその影響力は漸減し、1990年代にはほぼ払拭されたと考えられている。それに伴って投機ブームが起り、より広い土地が必要となったこともあって市街は南方に大きく拡張した。 そして、1980年代の末頃から巨大テーマホテルブームが起こり、現在に至っている。また、この頃より各ホテルの広大な敷地を使ってのコンベンションなどが多数開かれるようになった。 なお、客室数ベースで世界の12大ホテルのうち11軒がラスベガス地区に存在する。ホテルが多い理由の一つとして、一定規模以上のカジノの建設は、客室数200室以上のホテルの付帯施設としてしか認可されないことが挙げられる