日別アーカイブ: 2015年1月21日

美祢ー豊田バイパス工事 いよいよ(最終段階)?

 

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↑ 地元「豊田町」では、現在(八道~中畑)美祢ー豊田バイパス工事が進行中です。計画は平成の初め(平成6年事業化)、工事着工から既に20年以上も経過しています。地元の熱心な要望?では無く、‘ 全県下から県庁まで2時間(到着)構想 ’ の産物でしょう。工事の半ばに「トンネル工事」(弊社200㍍山側)入り口付近の山林用地買収に手間取って、遅れに遅れているのでしょう。現在はトンネルも貫通し、いよいよ最終段階??いやいや、筆者の予想でもアト5年?10年?完全なバイパス完成まで、予断は許しません。スナップは「岩坂」付近の高架道路の現状です。人影が無いので(無断で進入)撮影しました。

__________________________東京からメールが来ました(東京在住 豊田町殿敷 出身)

豊島区の小林裕です。現在放映中のNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」の滝の出地は豊北町の滝部の寺地地区です。
滝の家は半農半士で代々馬を扱う家系で滝は小さい頃から馬の扱いに慣れており、杉家は1823年萩の大火にみわわれ、25石取りの藩士でしたので、それ以降貧乏の生活でした。  杉家の生活は、滝が馬を扱い畑仕事をし両親の面倒と夜なべをして家計を支えていました。
滝の40~50代の写真を見ますと頑張りの効く顔と顎をしています。
また、大河ドラマの視聴率が低いようです。学園ホ―ムドラマはTBSに任せておけばいいのに視点をモノカルチャ―にしてしまいました。
松陰は、松下村塾で山鹿流の兵学を講義していましたが、講話(雑談)として倫理学、地理学、歴史学、経済学及び芸術論をしていたようです。その中でも歴史学と経済学を熱心に論じていたようです。
松陰が20歳の時、藩命で北浦地区を視察しています。阿川から滝部、くるそん山、湯玉に降り、室町時代に山口で大内文化を陰で支えた肥中(ひじゅう)に2泊します。しかし、この文献の中に大内氏に巨万の富をもたらした記述がありません。家が60軒余り、2社2寺と書かれているのみです。  朝鮮との交易のことが書かれていれば、松陰の「至誠一貫」及び「重商主義による富国」の記述で立体的に話が展開出来たのに残念です。その後の長州ファイブとな取素彦が、明治政府が建設した富岡製糸工場を建て直す役割をな取が果たしました。
松陰の講話を側で聞いていた結果です。
このような視点からドラマを再構築すれば視聴率は上がると思料します。
以上 小林裕の見解を述べました。
小林裕  拝

★筆者:注 ご本人にTELしました 訂正了解ずみ  な取素彦 ⇒「楫取素彦」(かとりもとひこ)⇒花燃ゆでは「小田村伊之助」  (参考)杉滝(壇ふみ)⇒杉文 ~ 吉田寅次郎(松陰)の母 は、旧:豊浦郡豊北町滝部の生まれが判明