日別アーカイブ: 2013年7月3日

<太陽のタマゴ>&<アールスメロン> スナップ! (宮崎から)

★本日のスナップは、宮崎市在住の「植平由美子」さんから送られてきたものです。先日、ご主人(植平光彦さん)の退職云々について、長電話を致しました。その際、昨年進呈した「ラッキョウ」の瓶を送り返して頂く様にお願いしたところ、このような‘マンゴー’や‘メロン’などが一緒に入っていました。かえって高いものにつきましたねえ?(マンゴー=太陽のタマゴ)JA都城&(アールスメロン 温室栽培)JA小林

・ズバリ!彼女は我々代理店にとって「同志」=戦友 のなにものでもありませんでした。1993年前後、熊本大学法学部を卒業したばかりの彼女は、我々代理店から(かなり)Ejikiにされました。新入り社員のハードルでしょうか?生まれ育ちも下関市、彼女は持ち前の気の強さと、前向き~プラス思考で我々代理店を鼓舞し、退職間際には、我々代理店をUcyoutenにさせるまでの実力を発揮しておりました。

・1988年に東京海上日動グループの代理店になって、二人目の支社長(課長)がご主人の植平光彦氏でありました。 <現在、㈱かんぽ生命 常務執行役> 弊社は、(当時)全国入賞(連続)展開中でありました。地元下関支社(元:山口営業課)は勿論、山口支店が展開する「支店内キャンペーン」=エクセレント・キャンペーン(現在はありません)入賞の為、最後の一瞬まで数字を追いかけておりました。

・○○な話はさて置いて、キャンペーン入賞に向けて、県内の強豪代理店と五分の勝負を挑んでいたのであります。当時の「㈱やまのうち」さん「㈱周南タキモト」さん「下関・木内」さん、この3代理店(専業=プロ)が、弊社のSyukutekiいわば筆者自身のライバルであったわけです。東京海上日動グループに於いて(筆者は)、目標達成意識をモロに出し、数字にこだわり、順位にこだわり、入賞を必達目標にして入賞をし続けました。このときの戦いを挑んだ「同志」の一人が彼女であったわけです。代理店をやる気にさせ、目標から目をそらさせない!その姿勢(執念)は総合職の男性社員顔負けであり、このことはあんまり知られていません。

・東京海上日動グループの代理店となって、既に25年目に入っています。記憶は定かでありませんが、(弊社は)ほぼ確実に全国入賞を果たしております。途中から施策も変わり、徐々に徐々にハードルが高くなってきました。我々の整備工場(R/Sチャネル)単体の全国入賞キャンペーン(テクノ倶楽部)は既になく、1990年代に於ける入賞代理店(300社以上)の内、現在の入賞基準での合格者は、50代理店もいないと推察できます。特に、一般種目(当時は、ノンマリン一般と言っていましたが、、)の(数ある)入賞基準の中で「損害率基準60%以下」「対前年比率103%以上」クリアーは、超難関なハードルなんです。

・弊社は、2000年直前から始まった「生保第一分野・第三分野」のステージにも挑戦し続け、今日の連続入賞を続けてきました。(この分野には、損害率や対前年比率などの縛りが無いのです。)東京海上日動グループ兼業部門表彰制度「フロンティア倶楽部」での、代理店の全国入賞基準のハードルは、(業界でも)軽く日本一!だと自負しています。手前味噌ですが(弊社の)、生保部門の14年連続入賞さらには25年間?全国入賞の回数は、(山口県内では)中々敗れない?かも?知れません!(但し、兼業代理店)